【和歌山の名産品】南高梅で作った最高級品の梅干し

和歌山と言えば、みかんも有名ですが、最高級の梅の産地でもあります。熟していない青梅は梅酒や梅ジュースを作るのに最適で、梅干しは熟した梅を漬けて作ります。

梅の歴史

梅は中国が原産で、なんと紀元前200年頃の馬王堆古墳からも梅干しが入っていたと推定される壺が発見されているくらいです。

梅干しは食用よりも、腹痛、解熱などの薬として用いられたようで、梅干しを作るときに出来る梅酢は、クエン酸豊富なので、青銅器や手つきのさび止めに使われたり、金メッキを施すときに使われたということです。

平安時代にも梅干しと昆布茶で病気を治した村上帝の話があり、戦国時代になると戦場での保存食や戦の携帯食料としてだけでなく、傷を治療したり、食中毒などの予防にと、ひっぱりだこになったのです。

ですので、戦国武将たちは梅の植林を奨励し、現在でもあちこちに梅の名所や梅干しの産地があるのですね。

 

梅干しが利用されたのは粉塵公害防止のため!?

梅干しは、熟した梅を塩漬けにして、その後日干しにしたものですが、江戸時代には今と同じ作り方になりました。また、江戸時代の銀山では、なんと、坑内の立ちこめる粉塵公害の防止のために、医師が梅肉を挟んだ防毒マスクを発案し、酸の効果で効果絶大だったそうです。

また、おしょうゆが普及する江戸中期以降までは、梅干しを日本酒で煮詰めた煎り酒が調味料として使われていましたし、お正月や節分などには、庶民はお茶に昆布と梅干を入れた福茶を飲むようにもなったのです。

 

和歌山で梅栽培が始まった理由

ということで、昔から日本人の生活に欠かせない梅です。

しかし、江戸時代の和歌山藩では、安藤直次という侍が、自分の領地である「みなべ町」でお米などの作物が育たなかったために、その土地の山に自生していた藪梅を育てれば年貢を減らすとして農民に育てさせたことから、和歌山の梅栽培が始まったのです。

徳川幕府8代将軍吉宗は、将軍になる前は和歌山藩の藩主でしたが、和歌山産の梅を絶賛したといいます。

 

「南高梅」と名付けられた歴史

そして明治時代に旧上南部村(現みなべ町)で、高田貞楠という人が果実の大きい梅を見つけて、高田梅と名付けて栽培し始め、1950年から5年調査された後、高田梅が最優良品種と認定、調査に尽力したのが南部高校の教諭だったことから、高田の高と南高をとって、「南高梅(なんこううめ)」と名付けられたということです。

南高梅は、実が柔らかくて最高級の梅干しになるのですが、実が崩れやすいために家庭で漬けるのに適しています。最近は、梅干しも梅酢もクエン酸が豊富でアンチエイジングに最適なスーパーフードとして見直されているのですが、和歌山産の梅干しは最高級品と言われています。

スーパーなどの梅干しは「調味梅干し」で、賞味期限が短いのですが、家庭で漬ける昔ながらの梅干しには賞味期限はありません。和歌山のおみやげの梅干し、また和歌山産の南高梅で漬けた梅干しをたくさんいただいて、健康になりましょう。