大阪にある「岸和田城」の歴史と庭園(八陣の庭)について紹介!

大阪にある「岸和田城」。馴染みのある人も居るかもしれませんが、ここでは岸和田城の歴史とその庭園の造りについて紹介します。

岸和田城の歴史

1334年(建武元年)頃に和田高家が築いた城が岸和田城の基になったと考えられています。

これは当時、和泉国守護を務めていた楠木正成が、一族の和田高家を使って城を築かせたものと伝わっており、今の岸和田城址から東側に約500mほど離れた場所に築城されたようです。

その場所から今の場所へ移った時期などは判明していませんが、後に信濃泰義の手によって移築されたものと推測されています。

1577年(天正5年)には織田信長の紀州征伐に伴い、紀伊方面の抑えを任された織田信張が佐野砦に置かれた後、信張が岸和田城へ入ったと伝わっています。

1582年(天正10年)には、織田家家臣の蜂屋頼隆が領地を拝し、岸和田城を居城としました。以後、豊臣秀秀吉の治世時には、中村一氏が入城し、根来衆、雑賀衆、粉河衆などの一揆を起こした衆への討伐が命じられました。

小出秀政が城主となり、5重の天守を備えた城に拡張されたと伝わっています。この天守は1872年に火災で焼失、今の連結式望楼型3重3階の天守は1954年(昭和29年)に復興されたものです。

 

江戸時代の岸和田城

1614年(慶長19年)の大坂冬の陣時には松平信吉が城主を務めました。後に北条氏重、小出吉英と替わり、1619年(元和5年)には松平康重が入城したようです。

更に1682年(寛永8年)に伏見城の破却に伴い、その矢倉などの移設が行われた城郭の補強が図られました。

1631年(寛永17年)に高槻城より転封された岡部宣勝が城主となり6万石を領しました。この後明治まで、岡部氏が13代続いて納めることとなりました。

ちなみに、全国的にも有名な「岸和田だんじり祭り」は、岡部氏の三代目城主の長泰が、城内の三の丸に伏見稲荷神社を設け、五穀豊穣を願う行事に領民達の参加を許可したことが起こりとされています。

 

岸和田城庭園(八陣の庭)

岸和田城庭園(八陣の庭)は昭和28年、昭和における代表的な庭園研究家の重森三玲(しげもりみれい)氏によって、設計・作庭された砂庭式の枯山水庭園庭園です。

この庭園は、上・中・下の3つ部分に分かれており、その中心に石組みが配され、それを中心とした8つの石組み(天・地・風・雲・鳥・蛇・龍・虎)が配されたデザインとなっています。

これは、中国の三国志の名軍師として知られる諸葛孔明の「八陣法」をモチーフにしたものとなっています。平成26年に国の名勝の指定を受けた庭園です。