京都の古い町家の典型「うなぎの寝床」とは?

京都の町家と言えば、間口狭く、格子があって趣のある小窓の外の軒下に、犬矢来とか、猫矢来と呼ばれる、竹で出来た柵があります。

そして玄関を入ったところには土間があり、奥へのくぐり戸を開けると土間にお台所があります。玄関から上がると、畳のお部屋が続いていて、お座敷の向こうには
しゃれた石灯籠や苔むした中庭が作られています。

そして、さらに奥に行けば、お蔵があって庭もありというのが、典型的な「うなぎの寝床」です。

間口が狭いうなぎの寝床

間口が狭いのは、江戸時代に「間口税」と言うのがあったせいで、庶民の知恵の節税からこういう作りになったのだそうですが、このうなぎの寝床の古い街並みが続くと、まるで江戸時代にタイムスリップしたようで、歴史ファンとしては感激するのです。

京都というところは盆地にあるせいで、夏は蒸し暑く、冬は北海道出身の方でも悲鳴を上げるほどの底冷えがひどいのですが、このうなぎの寝床は、夏を涼しくするように色々工夫されているのです。

まさに徒然草の「家の作りようは夏を旨とすべし」を地で行っているのですね。6月頃になると、軒下に簾をたらして、お座敷の障子戸が、竹や葭(よし)で作った夏用の障子に、畳の上には、つるつるひやっとした網代(あじろ)が敷かれて、涼しくする工夫や間仕切りを行う建具替えが行われ、夏仕様に変わりました。

かの昭和天皇の侍従長で、ご自身も公家の出身である入江相政氏が、同僚から、あんな底冷えのする京都の気候で、あのすき間風のひどい家に住み続けたから、公家は冷たい人間になったのだと言われたので、昭和天皇に言いつけたと書いておられたのを読んだ覚えがあります。

ちょっと言い得て妙な感じもします。

 

京都の家々は外から見えない小窓が並んでいる

また、京都の古い家は決まって外から中は見えない、格子の付いた小窓が並んでいますが、あれは家の前の道を歩いている人をこっそりと覗くためなのだということです。

実際、左の角から3軒目、次の右側の角まで3軒目の家の、玄関の土間、玄関隣の畳の間、6畳の間の外に面した格子の窓からは、前の通りの角から角が全部見えるんだと、教えてもらったことがあります。

こういう感じで、ご近所の人が誰も外に出ていなくても、京都では誰かが見ているんですね。

 

司馬遼太郎の小説でもモデルになっている

司馬遼太郎氏は、お若い頃、京都大学詰めの新聞記者をされていたので、戦後すぐの頃の京都人を観察しておられたのでしょう。

その雰囲気が、小説の一シーンにあらわれていました。「燃えよ剣」では、長州の密偵の古高俊太郎は古道具屋升屋喜右衛門に化けていたのですが、近江人で京都人ではなかったために、ご近所さんたちの好奇の目にさらされていたこと。

そして外出の行き先を京都人のように「ちょっとそこまで」と曖昧にごまかすことが出来なかったので、新選組に密告されて囚われ拷問の末に長州の陰謀が明らかになり、池田屋事件が起きたのでした。

 

現在、古民家再生のムーブメントがきている

うなぎの寝床、やはり現代の生活とは合わないせいか、どんどん取り壊されて新しい家に建て替えられたり、駐車場になったりと、絶滅の危機に瀕していたのです。

しかし、現在では、古民家再生ブームもあって、古い家を再生してカフェにしたり、学生さんや芸術家の集合住宅となったりと、活用されて残されているのは嬉しいですね。