京都市左京区、昔は文人の道と言われた哲学の道|観光スポットの候補にどうぞ

京都市左京区の銀閣寺のあたりから、永観堂付近の若王子橋付近までの
約1.5kmの琵琶湖疎水べりの小径が、有名な哲学の道です。

琵琶湖の水をひいて琵琶湖疎水が作られたのは明治時代のことです。この小径も最初は疎水の管理用であったということですが、人々が散歩をするようになったので、次第に整備されて行きました。

哲学の道と呼ばれるまでの歴史

その頃、このあたりには、文人が多く住んでいたので、最初は文人の道と呼ばれたが、その後、京都大学教授だった「善の研究」で有名な哲学者の西田幾多郎や田辺元らがよく散策したので、思惑の道と言われました。

そして、彼の弟子の三木清らも散策したということで「哲学の道」と呼ばれるようになり、1972年には正式名称となりました。

西田幾多郎の歌碑も建てられています。ここは春の桜並木、紅葉の季節も素晴らしく美しい景色が楽しめる小道で、自然の森のような山側を眺めたり、疎水の流れを見たりして歩いて行くと本当に癒されます。

桜並木は、明治時代にここにアトリエを持っていた、有名な画家の橋本関雪夫妻が寄与したもので、京都では最も人気のある散歩道だということです。

 

カフェテリアやお茶屋さんで一休憩ができる

また、おしゃれなカフェや、お茶屋さんもあって、ちょっと一息入れる所に事欠かないし、銀閣寺はもちろんのこと、法然院、日向大神社、門跡寺院の曼殊院、永観堂、真如堂に南禅寺と、訪れたくなる名刹もたくさんあります。

法然院には、この辺りに住んでいたこともある「春琴抄」などの谷崎潤一郎、「粋の構造」で有名な九鬼周造、マルクス経済学者の河上肇、戦前の東洋史学者内藤湖南らが夫人とともに永眠されています。また、若王子山には、同志社大学の創立者である新島襄のお墓もあります。

今では想像もつきませんが、「梅棹忠夫の京都案内」によれば、明治維新後に東京に遷都されてから、一時京都は人口も減り大変寂れたということでした。

しかし市民が大変な努力をして産業を興し、街の近代化を図って現在は立派な産業都市になったのだ、観光だけじゃないよ京都は、ということです。

 

哲学の道は昔から皆に愛されている場所である

単なる疎水の管理用であったのが、人々が歩くので整備され、文人、哲学者に愛好され、画家が桜の木を寄付して、市民や観光客の憩いの場になったという、この哲学の道の成り立ちとも何か通じるものがあるように思えてなりません。

美しい季節の移り変わりを楽しみながら歩き、歴史を感じる古いお寺や神社にお参りして、明治の頃に京都に住んだ文人たち、そして京都を大学街に学生の街にした切っ掛けを作った大学創立者に思いをはせるのも哲学の道の楽しみ方だと思います。