大阪府高槻市にある淀川北岸最大級の古墳「今城塚古墳」の歴史を紹介!実は砦として使われていた!?

今城塚古墳は淀川北岸では「最大級の前方後円墳」になり、国史跡に指定されています。今城塚古墳という呼び名は、この古墳が戦国時代では「砦」として使われいたことが由来だと言われています。

「砦」として使っていたのが「織田信長」

1568年、織田信長が三好家を攻めるために摂津侵攻した時に城砦を築いたとされています。発掘調査の結果、1596年にあった「伏見大地震」によって崩れたと現在は言われています。

古墳の規模は、全長で約350m、墳丘の長さが約190m、前方部分の幅が約148m、高さ約12m、後円分の径が約100mとされています。

今城塚古墳の堀

かつては、墳丘や内堤の周りには「ハニワ」をめぐらし、二重の濠を持ち、広大な墓域を誇っていました。古墳が構造されたのが「6世紀前半」と言われており、古墳からは「高さ約1.7mの日本最大級の家形埴輪」や「鎧姿の武人埴輪」などが出土しています。

 

20年以上前の発掘調査で古墳の形状に変化が生まれている

1997年11月に発掘調査が始まりましたが、その発掘調査が伴って「古墳の形状に変化」が起きてしまいました。2004年頃から史跡公園として整備工事が行われ、2005年に行われた「周濠の水抜き」で、一時古墳一帯の周辺は立ち入り禁止になりましたが、古墳は大きな変化が見られるようになりました。

2004年までは外濠に水が満たされていたため、濠には「釣り用の足場」が組まれており、季節を問わず釣り人が糸を垂らす姿が見えていたが、2005年3月31日より閉鎖されてしまい、魚釣り禁止になりました。

古墳公園が整備される前と今を比べると、濠を囲む堤や内濠、外濠などは、元々あった姿から大きく変化していますが、墳丘自体には大きく手を加えられてはいないようです。

 

現在は「史跡公園」と「歴史館」がオープンしている

2004年から整備されてきた史跡公園は、2011年に完了し、同年4月には一般公開されるようになりました。その時に「今城塚古代歴史館」も同時にオープンしました。

今城塚古代歴史館には、埴輪や石棺の展示品や体験学習コーナー、はにたん観光情報コーナーなどがあります。はにたん観光情報コーナーでは、様々な高槻市の名産品が販売されており、自分がおすすめするのは「日本酒」です。

高槻市の原地区で製造されており、注文が殺到して1ヶ月待ちになったほどの代物です。

今城塚古墳公園は、今城塚古代歴史館から2、3分歩いたところにあります。今城塚古墳の前には埴輪祭祀場があり、さらに手前には古墳と模型が実物と同じように作られています。

埴輪祭祀場は、埴輪祭りを再現しており、家や大刀、盾、人物、動物など190点ほどの埴輪が発掘調査で確認された場所で復元されています。