大阪城は3大武将(織田信長・豊臣秀吉・徳永家康)が関わった素晴らしい歴史がある!

小学校で習った3大武将というと「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」ですが、その中で日本国初めての天下統一を果たしたのが「豊臣秀吉」です。

その豊臣秀吉が建てた「大阪城」は、430年以上も大阪に鎮座しています。その年月が示す通り、大阪城には深い歴史があります。

大阪城が建設されるまで

大阪城が建設されたのは「1583年」のことです。大阪城が建設されるまでの土地には、浄土真宗本願寺である「石山本願寺」というお寺が存在していました。

石山本願寺の11代目宗主である「顕如」の時代には、有名大名ほどの財力を持っており、そこに目をつけたのが織田信長でした。

軍資金援助には応じたものの、石山本願寺の立ち退き要請に我慢ならず、織田信長に反旗を翻します。織田家と本願寺が約10年にも渡る合戦を繰り返し、最終的に顕如が織田信長にこの土地を明け渡すことになります。

その織田信長が明智光秀に本能寺の変で討ち死にをして、あれやこれや事件があり、豊臣秀吉が天下を統一します。その時に築いたのが「大阪城」です。

大阪城の周辺は「貿易の拠点」「川や海に囲まれており、城を守りやすい」というメリットがたくさんあり、織田信長が本能寺で討ち死をしていなければ、織田信長も大阪城を築いていたかもしれませんね。

 

大阪城が建設されてから

1583年に豊臣秀吉が建設を開始してから約15年で豊臣政権が終わってしまいます。完成した大阪城は、織田信長が建てた「安土城」より圧倒的な造りでしたが1,600年、関ヶ原の合戦で徳川家康軍が勝利し、政権を握るようになりました。

「豊臣政権根絶」とばかりに、大阪城へ2度も攻め入り、大砲などで塀や堀を打ち崩し、城は放火により、無惨にも原型がとどめることなく、焼け落ちてしまいます。

1620年に「徳川幕府」が大阪城の再築を開始します。時代は「江戸時代」に入り、2代目将軍「徳川秀忠」が再構築を始めました。新しい大阪城が完成したのが1629年3代目将軍「徳川秀光」の時でした。「豊臣秀吉が造った大阪城のまま再構築したのか」というとそうではありません。

その当時の大阪城は、豊臣秀吉が造った大阪城とは似ても似つかない、築城している物も違うし、元の大阪城より豪勢なお城に建設しました。なぜ、元の大阪城と似ても似つかない城にしたかというと、徳川家が「西日本の支配を確固たるもの」にするために行われました。

 

現在の天守閣が復興したのは20世紀に入ってから

豊臣秀吉の時よりも豪勢な城を築くことで、西日本にある「秀吉の影響」を排除しようとしたのでしょう。しかし、せっかく蘇った大阪城も1665年には落雷で天守閣が焼失してしまいます。大阪城は天守閣がないまま、約266年間存在していました。

天守閣の復興開始したのが1930年。大阪市民からの募金で現在の大阪城が完成しました。