和歌山にある日本の仏教の聖地「高野山」の寺院とその歴史

高野山は和歌山県伊都郡高野町にあり、周囲を標高1000メートル級の山々が囲む場所を指します。高野山は標高800メートルに位置しており、日本の仏教の聖地として崇められており、観光客も多く訪れます。

現在ではユネスコの世界文化遺産に登録されるなど、日本を代表する歴史と文化を持った場所です。今回は高野山のお寺とその歴史についてご紹介します。

高野山が仏教の聖地として発展した由縁

まず、高野山の読み方についてですが、正しい読み方は「こうやさん」です。「たかのさん」ではありませんのでご注意ください。続いて、高野山が日本仏教の聖地として発展したその由縁を紐解いていきましょう。

遡ること役1200年、平安時代の天皇である嵯峨天皇より弘法大師として名高い、空海という僧侶に高野山を下賜します。これがすべての始まりで、空海は高野山を開きました。空海は真言宗と呼ばれる宗派の開祖で、当時はまだ新しい宗派でした。

そこで空海は真言宗の僧侶の修行の場所として高野山を利用します。その後、高野山は順調に日本仏教の中心地として発展します。

戦国時代には一時期、織田信長などと敵対し、僧侶が殺害されたり、高野山攻めが行われることがありましたが、織田信長の死去によりなんとか難を逃れることができました。しかし、戦国武将には高野山信仰が広まり、多くの戦国武将の墓が作られました。

 

高野山に生まれたお寺「金剛峯寺」

次に高野山のお寺についてです。高野山は寺院を中心とした都市となっています。その寺院が金剛峯寺です。山まるまるひとつが金剛峯寺の境内とされており、一山境内地と呼ばれています。まず、壇上伽藍と呼ばれる場所があり、高野山における聖地のひとつです。

主に中門や金堂、西塔、御影堂などの歴史的な建築物が並び、高野山の中枢を担っています。金剛峯寺の仏教行事はほとんどが壇上伽藍で行われます。

さらに、壇上伽藍のほかに奥の院と呼ばれる、もうひとつの聖地があります。奥の院には高野山を開いた空海の御廟があり、空海最期の地であるとされています。しかし、中には空海は現在も生きていると考えている者もいるそうです。

 

高野山には国の重要文化財が指定されたものばかりがある

また、金剛峯寺には徳川家の霊廟があることをご存知でしょうか。徳川家の初代将軍である徳川家康と、二代目将軍である徳川秀忠の霊廟、合わせて二つがあります。この二つは国の重要文化財に指定され、世界遺産に含まれます。

さらに、高野山には国宝や文化財が多くあるため、それらを守り、展示する高野山霊宝館があります。国宝、重要文化財など合わせて50,000点が収蔵されており、一般の人でも見学することができます。