兵庫が誇る世界遺産国宝「姫路城」のご紹介

数年前、平成の大修理が終わり、真っ白な姿を現した姫路城。

こんな田舎に何でこんなに大きくて美しい城が必要なの?と思われるでしょうが、歴史をたどると、その必要性も明らかになってきます。

姫路城へのアクセス

まず、実際にお城を訪ねてみましょう。姫路城はJR姫路駅北口から歩いて約20分ほどのところにあります。大手門には休日には番兵の鎧をまとったボランティアの方が立っておられます。

門を入ると大きな広場がありますが、ここには本丸御殿が建っていたはずなんです。また、入場料を払う菱門へ至る道の左の土手の上にも、武蔵野御殿という千姫が住んでいた伏見城遺構を移した館があったということです。

そうなんです。姫路城で残っているのは、大天守と小天守、化粧櫓程度の建物のみで城主が住んでいたところなどは残っていないのです。

 

姫路城の歴史

ここは姫山と言い、室町時代から赤松氏など播磨の国を治めていた守護大名が
城を築いた場所なのですが、城下町として整え、3層の天守のある城を作ったたのは黒田官兵衛から譲り受けた羽柴秀吉でした。

秀吉はこの姫路城城主時代に、中国征伐であの備中高松城水攻めを指揮しました。

その最中に本能寺の変が勃発し、急いで毛利方と和平協定を結んで、「中国大返し」で姫路まで帰ってきたのです。

そしてこの姫路から明智光秀との山崎合戦に向かったのでした。その後、この姫路城は関ヶ原合戦の手柄で、徳川家康の女婿でもあった池田輝政に与えられました。

輝政はその頃、一族の石高を合わせると100万石も有していたのと、対毛利や島津対策として江戸幕府の西の備えのために、ここまで大きな姫路城を建造したのでした。

今は兵庫県というくくりで神戸が県庁所在地で大都市なのですが、神戸は幕末の開港までは漁村だったし、このあたりが播磨の国の中心だったのですね。

池田輝政の後は、本多家が姫路城主になりましたが、その本多忠政の息子忠刻と結婚したのが、家康の孫で、豊臣秀頼室だった千姫でした。

千姫は10万石の化粧料(持参金)を持ってお嫁に来たので、西の丸を増築したのです。これで現在の姫路城が出来上がったのでした。

 

今なお姫路城は美しい外観

今に残る西の丸の化粧櫓から、千姫が毎日拝んでいたのは男山の千姫天満宮です。

家康と信長の曽孫でもある本多忠刻と千姫の結婚は、短い間ではあっても幸せだったということで、この化粧櫓の窓から見た千姫天満宮を待ち受けにすると恋が叶う、とも言われるようになりました。

姫路城は平山城であり、かなり広いです。天守閣は狭い階段で6階まで登るので、汚れても良い靴下と歩きやすい靴がおすすめです。どこから見ても美しい姫路城、ぜひ一度登城されるのをおすすめいたします。