神社で映画のヒロインになる!?滋賀県近江神社は百人一首の殿堂!

カルタの殿堂!といわれている近江神社をご紹介しますね。

映画「ちはやふる」でかるたの聖地となった近江神社は「秋の田の仮穂の庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」とよんだ天智天皇がまつられています。

かるたの聖地「近江神社」の歴史

天智天皇は百人一首(第一首)のこの句により、かるたの祖神といわれています。天智天皇は中大兄皇子のことで都を奈良の飛鳥から近江大津宮へ遷されたことで有名ですね。さらに天智天皇は水時計(漏刻)をつくり時刻を知らせることをしたのです。

現代の時の日(6月10日)は、ここ近江神社で初めて時を知らせた日であるといわれています(境内には時計記念館もあります)。

これらのことから天智天皇は運命開拓の大神とあがめられ、天皇の即位の礼の際にはかならず天智天皇のことに言及されるそうです。

 

近江神社の所在地

所在地は滋賀県大津市神宮町1番1号で、JR近江神宮駅・近鉄近江神宮駅どちらからも徒歩で10分くらいのところにあります。2の鳥居周辺には多くの句碑・歌碑がありますのでお気に入りを見つけるのも楽しいですね。かるたで有名な近江勧学館は一番奥のほうになりますよ。

 

かるたのイベントが多く行われている

近江神社はカルタの殿堂といわれるように、かるた行事が多いです。年初にテレビで放送される名人位・クイーン戦はどなたでも一度は目にするのではないでしょうか。

競技かるたの日本一を決める大会です。その大会はここ近江神宮でおこなわれます。その他「高松宮記念杯近江神宮全国競技かるた大会」「全国高等学校かるた選手権大会」もこちらで開催されます。

近年の百人一首人気により近江神社は人気急上昇中!

あなたも一度訪れてみてはいかがでしょうか?

近江神社へ観光する時の3つのポイント

ここからは近江神社へ観光する時に必ずやっておきたい3つのポイントを紹介します。

 

映画「ちはやふる」のロケ現場で主役気分!

映画「ちはやぶる」はもちろん近江神社で撮影されていますので、映画のワンシーンをたどりながらめぐるのもありですね。

なんと近江神社ではレンタル着物・袴がありますので本格的な、かるたクイーン気分が味わえるのです。着物レンタル(有料)は境内のみのコース・市内観光もできるコースなどありますので、滞在時間によりチョイスできるのもうれしいですね。

 

時計博物館

日本最初の時計博物館です。平成22年に改装し新しく時計館宝物館としてオープンしました。館内には日本最古の懐中時計なども展示されています。2階には百人一首織かるたなども展示されていますのでお見逃し無いように。

 

ときしめす守

近江神社ならのお守りです。チャンスを切り開いていく開運招福の力を授かりたいものです。受験や就職・転職など多くの節目のお守りにと買い求める人が多く人気の品です。

百人一首に興味のなかったあなたも近江神社にいお参りをしてチャンスをいかしましょう。

滋賀にある湖東三山は由緒ただしき観光名所!実は紅葉だけじゃないよ!

滋賀県湖東地方(鈴鹿山ろく)にある西明寺・金剛輪寺・百済寺、この三寺を湖東三山と呼びます。命名由来は観光のためといわれています。この3寺はともに天台宗であり、紅葉で名高いのですが新緑美しい若葉の季節もお勧めです。

三寺共に国道307号線沿いにありますので駆け足で見て回ることもできますよ。マイカーで移動する方は3寺ともに無料駐車場がありますので助かります。

紅葉シーズンは「紅葉の湖東三山」としてとても有名なために大混雑します。余裕をもって日程を組んでくださいね。それではそれぞれのお寺をご紹介します。

西明寺(龍應山)さいみょうじ

仁明天皇の勅願により三修上人が開山したとされ薬師如来を本尊とします。湖東三山の中では一番北に位置します。本堂・三重塔は国宝であり多くの仏像を有し見ごたえがあります。

本堂の裏にはこの寺開山由来の阿伽池がありますのでお見逃しなく。参道のはじまりには秋から冬にかけて開花する不断桜がありますので、紅葉シーズンに訪れる人は季節外れの桜の花を楽しむことができます。

お馴染みのソメイヨシノより小ぶりで可愛らしい花ですよ。また、境内は石垣・石類・石畳がおおく、苔むしていてとても風情があります。

 

金剛輪寺(松峰山)こんごうりんじ

聖武天皇の勅願により行基が開山したとされ、聖観世音菩薩を本尊としています。彫刻物や工芸品が多く残っており文化財の宝庫寺であるともいわれています。地形的観点からも城郭遺構がみられ堀切が現在もあります。

本堂はもちろん国宝です。総門から本堂までの参道には千体の地蔵があり、ひとつひとつ表情が違いますから数えながら登っていくのも楽しみの一つです。庭園も有名です。

 

百済寺(釈迦山)ひゃくさいじ

聖徳太子によって開山されたとされ十一面観世音菩薩を本尊とします。本尊は根のついた巨木の下半分にほられたために植木観音とも呼ばれています。このご本尊様は秘仏で、拝めるのは半世紀に一度といわれています。

百済寺といえば参道!百済寺の参道は知る人ぞ知る道なのです。多くの映画にこの参道及び周辺が登場します。とても趣のある歴史ある参道なのです。あなたも映画のワンシーンを経験してみてはいかがでしょう。

湖東地域:滋賀・近江地区のお土産は琵琶湖でとれた小魚の佃煮・鮒ずしが有名です。そのほかにも近江米や味噌・日野菜漬け・うばがもちなど郷土色豊かなものが多いですから、ご自宅用にも贈り物にも喜ばれると思います。

秀吉ゆかりの地|滋賀県長浜の観光中心地「黒壁スクエア」の魅力をご紹介!

滋賀県にはいわずと知れた日本一の琵琶湖がありますね。その湖北エリアにある長浜市。

羽柴(豊臣)秀吉が初めて築いた居城の「長浜城」。その跡地が現在長浜城歴史博物館になっています。その近くは城下町で北国街道の宿場として栄えたエリアになります。

秀吉ゆかりの豊國神社や知善院などの寺院も多く点在しています。なかでも、中心の観光地として有名なのが江戸から昭和にかけての古い街並が立ち並ぶ「黒壁スクエア」です。

アクセス方法

黒壁スクエアの住所は以下の通りです。

〒526-0059 滋賀県長浜市元浜町12-38

車で行く場合、名神高速道路の米原ジャンクションから北陸自動車道で北上し長浜インターを降り約4キロで到着します。

公共交通機関だと、北陸本線の長浜駅下車徒歩すぐです。

 

レトロな雰囲気が味わえる「黒壁スクエア」

昔ながらの昭和レトロな建物と、リノベーションされた新しい店舗など、新旧ともに良さが残るレトロモダンな雰囲気の街並みが魅力です。

その中心に位置するのが黒壁ガラス館。こちらは明治33年に建てられた第百三十国立銀行長浜支店(=黒壁銀行の愛称で親しまれた)跡を利用した施設です。沢山のガラス製品が飾られ販売されています。

この他にも周辺には黒壁オルゴール館や黒壁体験教室などオリジナルのガラス製品作成を体験できる施設もあります。お土産や思い出作りにいいですね。

 

個性派ミュージアム&ギャラリーも沢山あり

海洋堂フィギアミュージアムや長浜鉄道スクエアがありきっとマニアにはたまりません。界隈は雑貨屋さんやアトリエはもちろんのこと、沢山の飲食店やカフェが立ち並びます。

グルメでのおすすめはのっぺいうどんや、焼鯖そうめん、親子丼などなど。

近江牛を使ったお店も多くありご当地グルメも各所で楽しめます。石窯で焼きたてのパンが買えるお店もありますし、行列が出来る96CAFEの黒壁ソフト、芋平の芋きんつばなど、食べ歩きで楽しめるデザートパフェやアイスなどを販売する、お洒落なカフェもあり若者にも人気です。

 

様々な所で楽しめるのが「黒壁スクエア」

普通の街中に、そこだけ急に異世界で一角がこのような賑やかな観光地になっていますが、ここだけで「見る・遊ぶ・食べる・買う」が楽しめます♪

メインストリートはアーケードになっているので雨でも大丈夫ですが、一本外れてしまうと屋根はないので天気が悪い時は傘は必須です。アップダウンはないので歩いて回るには不便もないです。

ベビーカーや車椅子でも大丈夫。ストリートマップがお店や街中に置いてありますので、お手洗いの場所や店舗の情報&詳細が乗っていますのでせひ、手にとって回られることをおすすめします。すごく便利ですよ!

長浜城の歴史・秀吉の築城から徳川による廃城まで

滋賀県の現在の滋賀県長浜市公園町に位置する「長浜城」は、秀吉が築城した城です。ここではそんな長浜城の歴史について紹介していきます。

長浜城の起こり

長浜城は羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城した城です。

当時の秀吉は織田家の武将として数々の武功を挙げ、近江・小谷城の浅井氏を滅ぼす際にも大きく貢献したと伝わります。

その功を信長に評価されて、浅井氏の領地であった12万石を与えられ、晴れて城持ちの大名とへと出世を遂げた、秀吉の最初の城が長浜城です。

元々、この地は「今浜」と称されていましたが、秀吉が主君・信長の名である「長」の文字を拝領して地名を改名したことから、「長浜」と呼ばれるようになったものです。築城は1573年から開始され、かつての浅井氏の居城・小谷城などから資材が転用されたとも言われています。

現在の天守閣は、独立式望楼型3重5階の鉄筋コンクリート造りのもので、1983年に犬山城や伏見城をモチーフにして建てられました。中は長浜城歴史博物館になっており、秀吉と長浜城のあゆみを見学することができます。

 

秀吉以後の長浜城

1582年に、明智光秀による謀反・本能寺の変で主君織田信長が討たれると、羽柴秀吉は毛利攻めに出陣していましたが、驚異的な反応で対応を見せ、世にいう中国大返しで、京の山崎の戦いで光秀を打ち取ります。

その後、織田家重臣が介した清洲会議おいて、秀吉は居城だった長浜城を、柴田勝家に譲って、代わりに丹波・山城・河内の28万石を領しました。

勝家は、甥の柴田勝豊を長浜城主に置きましたが、1582年に秀吉の攻撃を受けたのち、勝豊は秀吉配下の大谷吉継の交渉に応じて降伏します。続く1583年の賤ヶ岳の戦いで勝家を破った秀吉は、織田家の筆頭の地位を確立、天下人への階段を駆けのぼっていきます。

一方、長浜城の主には「内助の功」で有名な山内一豊が2万石を領して就くこととなり、掛川城へ移るまでの6年間を過ごしました。

その後1606年には駿府城から内藤信成が6万石を領して長浜城主となります。続く内藤信正が2代目を務めますが、豊臣の終焉をなった大坂の陣のあと・1615年に内藤家は摂津の高槻藩に転封されたため、長浜城は廃城となり、領地は彦根藩の井伊家が治明治まで続きました。

 

竹生島(ちくぶしま)

「竹生島」は、長浜城から歩いて約10分の距離にある長浜港から、琵琶湖汽船に乗ること約30分の場所にある島です。島内にある都久夫須麻神社の本殿は、伏見城にあった束力使殿を移築した建物となっています。

また、浅井長政とお市の方の娘であり、後には秀吉の側室となる茶々(淀殿)によって移築されたものと伝わる大坂城極楽橋と、豊国廟に用いられていたとされる極楽門もあります。

更に、秀吉が朝鮮出兵の際に使用した船である「日本丸」の船底部分の骨組みを天井に用いた舟廊下など、歴史的な木造建築物が数多く残されています。

滋賀にある「彦根城」の歴史~天守が現存して現在まで受け継がれている名城~

彦根城は、井伊氏の拠点として建てられた平山城です。城が建てられた彦根山が金亀山と異名を持っていたため、金亀城(こんきじょう)ともいわれてます。

1600年の関ヶ原の戦いの後、徳川四天王の一人井伊直政はその功績により、徳川家康より近江北東部18万石を与えられました。最初は、佐和山城に入城しましたが、佐和山は石田三成の居城であったこともあり、琵琶湖岸の磯山(現在米原市)に井伊直政により築城を計画されました。

1604年に彦根城の築城が開始する

しかし、直政は関ヶ原の戦いの怪我がもとで1602年死去したため、直継により引き継がれました。引き継がれた際、直継は幼少だったため、家老の木俣守勝が遺志を引き継ぎ琵琶湖に面した彦根山(現在の彦根市)に1604年築城が開始されました。

築城には、奉行3名つけられ尾張藩など15大名が手伝いを命じられるなど天下普請で築城されました。

築城に際しては、天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築され、その他佐和山城などから資材が運びこまれ築城に用いられ築城されました。そのため、わずか2年で天守が築城されました。

1606年には2期工事まで完了し、直継が入城しました。1616年からは彦根藩のみで3期工事が開始され1622年には全ての工事が完了されました。

 

彦根城が築城された目的

彦根城は攻め落とし難い城として建てられました。その目的の一つには、江戸幕府より天皇を匿う命を受けていたからです。

また、江戸幕府の西国への備えも担っておりました。徳川の統治下の江戸時代には、軍事施設という役目は終えていきました。1854年には、天守櫓の大修理が行われ、その際石垣の半分は積みなおされるなど改修をしております。

井伊氏は加増を重ね、石高30万石となりました。そのほかにも、5万石が幕府から与えられていたので譜代大名最大の35万石となりました。幕末には、大老となった井伊直弼も藩主となるまで、この城の城下で過ごしていました。井伊氏14代の居城として彦根藩は、明治まで存続しました。

 

彦根城は廃条例を逃れた城である

明治になると、多くの城が廃条令により、取り壊し、売却されましたが、明治天皇の命により彦根城はその危機をのりこえ現在でも天守が現存する城となっています。

昭和時代には、観光のシンボルとしてソメイヨシノの苗木が植えられました。1944年に井伊家から彦根市へ彦根城及びその一帯が寄付されました。

1952年に天守と附櫓及び多聞櫓の2棟が国宝指定されています。また、馬屋は重要文化財指定物として稀少な存在であります。

現在は世界遺産登録に向けて、彦根城世界遺産登録推進委員会が設置されています。

滋賀の国宝「彦根城」徳川四天王のひとり井伊直正の意志を受け継いだ城

彦根城(ひこね じょう)は、滋賀県彦根市金亀町に位置しているお城です。明治の廃藩置県が行われるまで当地を治めていた彦根藩の居城として使われていました。

ここでは、彦根城の概要やその起源について紹介していきます。

彦根城は「国宝」に指定されている

全国に12城のみが残る現存天守の内のひとつに数えられるお城で、天守や附櫓、多聞櫓は国宝にも指定されています。城跡は特別史跡として、琵琶湖国定公園第1種特別地域にも指定されています。

天守が国宝に指定されているお城は、全国に他に5つ、犬山城、松本城、姫路城、松江城があります。

 

彦根城の概要

彦根城は、江戸時代の初めに、今の滋賀県彦根市金亀町にあたる彦根山に、西日本に睨みを利かせるべく、徳川家重臣の井伊家が拠点として築かれた平山城(標高50m)です。

彦根山は別名「金亀山(こんきやま)」とも呼ばれているため、お城も金亀城(こんきじょう)とも呼称されています。江戸時代に譜代の家臣として、数多い大老を輩出した井伊氏の14代に渡る居城として栄えました。

多くのお城が明治に入り廃城令に伴って破却される中、その難を逃れ現在でも天守が現存する稀有なお城となりました。通説によると、明治の政治家・大隈重信が行った上奏によって建物が保存されることになったとも伝えられています。

国宝でかつ世界遺産に指定されている姫路城と並んで、往時の遺構を遺している城郭となっていますが、1992年に日本における世界遺産の暫定リストに挙げられつつも、世界遺産の登録の厳格化が推進されたこともあり、以後の推薦は実施されていません。

 

彦根城の起こり

徳川家康を支え、後に徳川四天王の一人に数えられた武闘派の武将・井伊直政は、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いに際して武功を挙げ、18万石の近江国北東部に領地を与えられて、この地を豊臣時代に領していた石田三成の居城・佐和山城へと入りまいた。

佐和山城も「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」とも謳われ、音に聞く名城でしたが、直政は、戦国期の縄張りであったこと・三成の居城であったことなどを理由に新しい城を築くことを欲していたと伝わっています。

この新しい城の候補地が、琵琶湖岸に近い磯山でした。しかし計画半ばで、関ヶ原の戦で受けた傷が元となり1602年(慶長7年)に死去します。

直正の死を受けて井伊直継があとを継ぎますが、幼少だったこともあり、直政の家老を務めた木俣守勝が徳川家康と談判したと言われています。

結果、直政の遺志を受け継いで、1603年(慶長8年)に琵琶湖に面した彦根山に新しい城となる、彦根城の築城に着手したと伝わっています。

信長の城・安土城の関連施設についてのご紹介!

信長の掲げた「天下布武」で有名な安土城。有名なお城ですが、復元されているわけでもないので見落としがちですが、いくつかの見て損のない施設がありますよ。

【安土城郭資料館】

JR安土駅南広場に位置する城郭をイメージした建物が安土城郭資料館です。ここの資料館には、織田信長の城として名高い安土城を、実物の20分の1の大きさで再現したものが展示されています。

安土城は、金箔の瓦をはじめとして、外観は5層、内部は7階で、室内は狩野氷徳の絵を用いた襖や、異国文化の調度品で飾られていたお城を伝わっています。

また、はじめて本格的な天主閣を備えた城だったともいわれています。住所は、近江八幡市安土町小中700となっています。

 

【安土城天主 信長の館】

1992年に行われたスペイン・セビリア万国博覧会において日本館の主要な展示仏として出展された、安土城の天主・最上にあたる5・6階部分を万博の終りにあたって、安土町が譲りて、追加で復元した部分も含めて、保存・展示してあります。

安土城は1579年に建てられ、世界で最初の木造の高層建築と言われています。高さは約46メートルにも及びその様は宣教師のルイス・フロイスなどを通して、ときのヨーロッパにまで伝わりました。

築城からわずか3年で焼失した城でしたが、近年に入り「天主指図」が見つかり、内藤昌氏の説に基づきて、内側の障壁画とともに、原寸大で復元したものとなっています。

5階は、正八角形をした「八角の段」と称されています。宇宙を現したとされる場所で、柱や天井は朱漆に塗装されています。

法隆寺の夢殿に似た建築の構成となっています。6階は正方形で、外側には金箔が施され、内側は黒の漆塗りとなっています。天子創世の中国の故事に起因した、道教・儒教の教義を描いたものとなっています。住所は、近江八幡市安土町桑実寺800番地です。

 

【滋賀県立安土城考古博物館】

1992年に開館した、城郭と考古を主要なテーマとした博物館です。特別史跡である安土城跡を筆頭に、観音寺城跡、瓢箪山古墳、大中の湖南遺跡(だいなかのこみなみいせき)の4件の国の史跡について、文化財建造物群の調査・研究・保存、普及活動を行う施設として設立されたものです。

以前開設されていた、滋賀県立近江風土記の丘資料館の後を受けた施設で、特別展・企画展・博物館講座などの豊富な催しが行われています。住所は、近江八幡市安土町下豊浦6678です。

【これから滋賀にいく人必見】滋賀県の観光スポット「琵琶湖」について紹介します!

滋賀県にいこうと思っている方。どこにいくか決まっていますか。今回は滋賀県の琵琶湖について特集しています。

 琵琶湖ってどんなところなの?

琵琶湖は面積669平方キロメートルで、周囲は241kmの広大な湖です。なんと湖だけで滋賀県の面積の6分の1を占めています。大きすぎですよね。

琵琶湖から流れ出る水はいろいろな川を流れて大阪湾へと流れ出ます。湖を取り囲む山から流れ出る水が源流です。

繋ぎ:琵琶湖はとても大きいですね。だから大きい分観光する場所は沢山あります。
それを今から紹介したいと思います。

 

琵琶湖は泳げるし波がある!

なんと琵琶湖には游げる場所があるんです。それが「近江舞子水泳場」と呼ばれる所です。水は海みたいに塩辛くなくて口に水が入っても辛くないです。

しかも波があるんです。波があって水は塩辛くない。海よりいいですよね。

営業しているのは7月1日から8月31日の8時から17時までです。アクセスは電車ではJR近江舞子駅から徒歩5分です。車だと湖西道路近江舞子ランプからすぐです。

駐車場は一回1,500円で無制限です。

湖と聞くとあんまり泳ぐイメージがないですが、実は琵琶湖では全然游げることがわかりましたね。次は琵琶湖のカヌーについて紹介したいと思います。

 

琵琶湖のカヌーってどんな感じなの?

琵琶湖ではカヌー体験が沢山行われています。でもカヌーを体験したことがある人はほとんどいないと思うので、カヌーについてまずは紹介したいと思います。

カヌーとはブレードという棒状のオールを使って船をこぐスポーツです。カヌーはあんまりスポーツというイメージがないと思います。でもスポーツなんです。

では本題に戻ってカヌーはどこでどんな感じに行われているのか紹介したいと思います。カヌーが行われている場所はいくつもありますがそのうちのひとつを紹介
したいと思います。

 

能登川水車とカヌーランド

ここはカヌー体験や水車資料館などがある場所です。ですがメインはカヌーです。
ここではカヌーのやり方が分からなくてもインストラクターがいてやり方を教えてくれるので初心者でも安心です。

値段ですが一人乗りは30分毎に500円です。二人乗りだと30分700円です。
結構お手軽ですよね。

営業時間は9時から16時までです。場所は滋賀県東近江市伊庭1269です。
JR琵琶湖線能登川駅下車後車で10分です。駐車場は32台止められます。

近江牛だけじゃない、滋賀県を訪れたらぜひ食べたい名産品とは?(近江米・鮎料理など)

滋賀県は真ん中に琵琶湖が鎮座していて、西側と東側に分かれています。昔は近江の国と言い、近江の歴史を語ると日本の歴史になるというくらい古くから栄えた場所です。

また中山道と東海道が交わる交通の要所でもあり、近江商人の故郷としても有名です。そういう土地柄の滋賀県には、信楽焼などの焼き物や工芸品などの特産品も多く、古くは穴太衆(あのうしゅう)という、寺院や城の石垣を作る石工の専門職も有名です。

しかし、琵琶湖の恵み、地の恵みではぐくまれた名産、滋賀県を訪れたらぜひ召し上がっていただきたい食べ物がたくさんあります。

オススメの食べ物は「近江牛」

ここの名産は、近江牛です。日本三大和牛のひとつと言われていますが、なんと1590年、豊臣秀吉が後北条氏の小田原城を攻めたときに、高山右近が、蒲生氏郷と細川忠興に牛肉をふるまったという話があるそうです。

そして、近江出身の蒲生氏郷が、近江蒲生日野の領地で食肉牛を飼育して、近江牛の普及に貢献したと言われています。

江戸時代は仏教の影響などで肉食は否定されて、イノシシ肉などが薬としてこそこそと食べられていたようですが、江戸後期に干し肉にされた近江牛が養生薬として彦根藩から将軍へ献上されたとか、松平定信、徳川斉昭などの大名に、味噌漬、粕漬にして贈られたことが、彦根藩の記録に残されているという、日本における最も古い食肉牛の歴史を誇っています。

 

もち米としても有名な「近江米」

琵琶湖に象徴されるように、おいしい良質の水源があるので、良いお米がとれます。「近江米」と呼ばれています。

近江米のもち米をもらったことがあり、そのもち米で作ったお餅があまりに上品でおいしかったので我が家では大騒ぎになったのですが、後で聞くと、京都の和菓子屋さんなどでも近江米の餅米を使っているということで、なるほどと思ったものです。

 

他にも「地酒」「鮎料理」「鮒ずし」「鯖ずし」が有名

そして、良質の酒造好適米の「日本晴」「玉栄」の名産地でもあり、近江盆地を取り囲む山々から流れ出る豊富な地下水で作られる、近江の地酒の種類もこれまた豊富なのです。

また、季節の鮎の飴煮、昆布巻きなども絶品ですが、実は京都の鴨川の川床で出されている鮎料理も、琵琶湖で採れた滋賀県産のものだということでした。ということで、お隣の京都で上品に出されているお料理も、元をただせば滋賀県産ということも多いと思います。

他にも、発酵させて作る珍しい鮒ずしや、鯖ずしも有名だし、最近有名になった、おたくあんとマヨネーズのコラボが絶品のサラダパン、今はない安土城を居城とした織田信長が作らせたという、赤こんにゃく、丁稚羊羹などもあります。

琵琶湖に飛来する脂ののった鴨の鴨鍋や、香りとのどごしの良さで知られ環境こだわり農産物の認証を受けた多賀そばも、ぜひおすすめしたいですね。

滋賀県の琵琶湖周辺のお薦め観光スポットをご紹介

滋賀県は、国内最大の湖で有る琵琶湖が有名ですが、そんな琵琶湖周辺には数多くのお薦めスポットが有ります。

琵琶湖は周囲241kmで最大水深が103mの湖ですが、400万年から600万年前に既に存在していたとされ、琵琶湖やその周辺ではその痕跡を確認する事も出来ます。

そこで、そんな古い歴史を持つ琵琶湖とその周辺のお薦めスポットをご紹介します。

琵琶湖近くの「漁港」では新鮮な魚介が獲れている

先ず琵琶湖は湖で有りながら、実は数多くの「漁港」が存在ます。そんな漁港周辺では琵琶湖で水揚げされた新鮮な魚介類を楽しむ事が出来ます。

特に琵琶湖で摂れるアユやウナギ等の淡水魚を使った郷土料理は、淡水魚独特の泥臭さも無く、どなたでも美味しく頂く事が出来ます。

また、琵琶湖南部の大津市にある琵琶湖大橋は、橋の下を大型船が通る事が出来るように橋の中央部を高くする構造になっており、琵琶湖の湖畔を見渡す事が出来るスポットとして人気が有ります。

 

400年以上前に建築された「彦根城」

次に琵琶湖近隣のお薦めスポットをご紹介します。先ずご紹介するのは「彦根城」です。彦根城は今からおおよそ400年前に徳川家康の指示で建築された城で、日本でも数が少なくなってしまった天守閣を有する城で、日本の国宝にも指定されております。

また、この彦根城は天守閣も素晴らしいのですが、城の構造に多くの特徴を持っており城に入ってくる敵に対して様々な攻撃用の仕掛けが作られております。

主な物としては表門の上に有る天秤櫓や、敵を攻撃し易い構造の石垣等他の城では見る事が出来ない作りを楽しむ事が出来ます。

 

1,000年以上の歴史がある「比叡山延暦寺」

次にご紹介するのは「比叡山延暦寺」です。比叡山延暦寺の歴史は大変古く、西暦788年に修行僧の修行の場として作られました。

中でも世界文化遺産に登録されている根本中堂では、不滅の法灯と呼ばれる1,200年もの間消える事の無い灯りが有り、そこで修行する僧侶によって菜種油の次ぎ足しが受け継がれております。

また、この延暦寺では体験修行を行う事が出来、1時間程の軽い修行から1泊2日の修行体験迄を行う事が出来、日常生活を離れ心を落ち着かせた仏教の教えを体験する事が出来ます。

 

琵琶湖の歴史が学べる「琵琶湖博物館」

次にご紹介するのは「琵琶湖博物館」です。琵琶湖の畔に有る琵琶湖博物館では、琵琶湖に生息する淡水生物の生態を観察する事が出来ますが、ロシア原産のバイカルアザラシを見る事が出来ます。

また、館内にはトンネル式の水槽や300万年前の地層から発見された大型の像の化石等の展示も行われております。更にお薦めなのが琵琶湖で取れるビワマスや外来魚として名高いブラックバスを使ったグルメです。

一般的に口にする機会が少ない魚を使ったグルメは、琵琶湖で是非とも試して頂きたいグルメです。